吉村ヨシミ様

焼け野原の東京で・・・

昭和26年、疎開先から復興の気運に乗じて「これからは東京だ!」と言う主人が東京郊外の焼け野原を自転車で探し回り、焼け跡のバンダイ草をむしるお婆さん に気に入られて、焼けた瓦の山(大型トラック10台分)を片づける事を条件に土地 を売って貰いました。

リヤカーから運送業者へ・・・

燃料・雑貨店等細々と営むうちに、満載の荷を積んだリヤカーを神田まで引いて行って五百円貰い、娘の雨靴を買ってくれた事で、「物を運ぶ仕事」を思いつき、中古のボロ三輪トラックを購入して運送業を始めました。

亡くなったご主人に代わって・・・

昭和44年1月 世間に先駆けて6階建て賃貸住宅(吉村マンション)を建て、翌45年1月主人が肺癌の為他界(57才)。

残された子供たちに支えられながら昭和63年に道路向かい側にもう一棟(ビクトリアレジデンス)を建て、以来私は運送業とマンション業の代表として年を重ね、今でもたまに若い者に檄を飛ばす88才です。

ソエジマとの出会い・・・

ソエジマとの出会いは昭和62年頃、たまたま建物の補修・改修に熱心な娘の自宅マンション大規模改修のトラブルで、管理会社の責任で一部やり直し工事を請け負われた業者としてお会いしたようです。

他社と比較して・・・

当初から私共2棟の新築当時の施工業者(地元)には信頼しながら様々な工事をして頂いたのですが、ある日突然倒産し、担当者の立場も変わり信頼関係が崩れてしまいました。

当然ソエジマと比較してみて、どうしてもソエジマの方が丁寧で専門知識・技術のレベルが高い…。自然に娘は現場の自宅近くでM課長に声をかけ、実家の屋上防水の相談をしました。M課長は早速ペイントメーカー・防水業者などを大々的に呼び調査し、立派すぎるほどの報告書を持ってきたのでした。

防水施工時の丁寧さ、職人の美しいまでの洗練された技に感動したものです。

アイディアと機動力で・・・

吉村ビル

以後2回の大規模改修をはじめ、エレベーター大改修等、毎回思わぬアイディアと機動力に驚くばかりでした。以来工事の度に入念な打ちあわせをし、基本的に発注者の理解と了解を得ようとする真摯な態度が感じ良いのです。

願わくば、ソエジマ全体としてソエジマ84年の歴史にふさわしい人間的ポリシーと責任施工の良心をずっと持ち続けて欲しいと思います。

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